慎吾と麗名の旅奏曲

<<<Preview/事前公開>>> 2019年8月1日 蓮 文句 これは、先に発表された第一話「もう先生と呼ばないで」と第二話「きみの意識が戻るまで」の後続九話を含めた全11話完結編です。第一話と第二話は個別に発表されたものと若干異なっている箇所があります。 1.もう先生と呼ばないで 慎吾は高校三年になって初めての英語のクラスに行くところだった。今までの教師が退職したので、新任の若い女の先生が来るということを聞いていた。いずれにしても慎吾は英語の授業をずっと嫌ってきたので、大した違いは無いだろうと思っていた。麗名は大学を卒業してすぐに慎吾の高校へ赴任してきた。三週間の教育実習の他は教壇に立ったことはなく、相当に緊張していたことに間違いはない。教師として最初のクラスは尚更のことだ。 慎吾が教室に着くと麗名はもう教室の前に居た。彼は麗名を見たその瞬間にもう完全に参ってしまった。彼は今まで何人か同級生と付き合った事はあるが、深い仲になったことはない。そして、たった今のようにどうしようもない感覚を覚えたこともなかった。そんな状況で慎吾が授業内容に注意を向けられたわけがない。途中麗名が一人ずつに教材を配ったとき、慎吾は麗名の手が少し震えているような気がした。新任の教師だからやっぱり緊張しているのかなと思った。それより、慎吾は自分の興奮状態を収めることに精一杯だった。 それから数週間が過ぎた。慎吾の麗名への想いはとどまる所を知らず、英語だけでなく全ての授業中、いや一日中そのことばかり考えていた。英語の授業はむしろ苦痛にさえなってきた。この憧れの人が級友皆に平等に英語を教えているからだ。もうたまらない。ある日の放課後、慎吾はこっそりと麗名のあとをつけた。同じ電車に乗り、同じ駅で降り、少し離れてついて行った。慎吾の心臓はもう破裂寸前だった。 麗名が自分のアパートのドアを開けようとした時、「先生。」という小さな声がした。振り返ると、そこには慎吾が立っていた。その時の麗名の驚き様はただものではなかった。「あっ」と叫んでいる様な顔をしているが声は出ていない。慎吾を凝視したまま凍結してしまったようだ。しばらくしてやっと麗名が口を開けた。 「あの、城ヶ崎君、どうしてここに。」 それは、半分は教師が生徒をたしなめるような口調であったが、後の半分は旅先で旧友にあったときのような親しみがあった。慎吾はきまりが悪そうに返答した。 「すいません。悪いとは思いながらついてきたんです。先生、すいません。どうしようもなかったんです。」 麗名はすぐには返答できなかった。そして思い切るように言った。 「城ヶ崎君、それはどういうことですか。」 麗名の顔は少し赤らいでいる。慎吾はもうすべて言うしかないと思っていた。 「先生。先生を一目見た時からもう頭が一杯で。授業中も苦しいくらいで。もう、直接会って話をしないと耐えられないと思ったんです。」 麗名は返答に困っているようだった。顔は更に赤くなってきた。しばらく経って、やや落ち着いてきたかと思われるとポツリと言った。 「城ヶ崎君、とにかく中に入って。こんなところを他の人に見られてしまっては。」 麗名は鍵を開けると慎吾を中に通した。アパートの中はガランとした感じで、隅には幾つか段ボール箱が積んであった。麗名は慎吾を小さな椅子に座らせると台所の流しの方を向いてしまった。そして、麗名の次の言葉は慎吾には少し意外だった。 「城ヶ崎君、コーヒー飲む?」 慎吾はもう信じられなかった。あの安城先生のアパートに二人だけでいる。 「二人だけ。先生、夢のようです。本当にどうして良いか分からなかったんです。」 麗名の方はうつむいてコーヒーの用意をしている。慎吾には麗名の表情どころか顔さえ見えなかった。次に麗名は独り言のように言った。 「こんな状態が学校に知れたら、わたしすぐクビにされてしまう。どうしよう。」 麗名が心配しているのを悟った慎吾はすかさず返事した。 「先生、オレ、絶対、誰にも何にも言わないから。心配しないで。」 麗名はそれには反応しなかった。まだコーヒーの方を向いている。少し身体が震えているようでもある。 「先生、すいません。悪い事だとは分かっていたし、先生を困らせようというつもりは全然なかったんだ。」 「城ヶ崎君。分かっているわ。わたし、今言った通り自分の仕事の事が心配なのは本当なんです。でも、実はもっと切迫していることがあって。」 慎吾にはその意味は全くわからなかった。 「もっと切迫していることって?」 麗名はまだコーヒーの方を向いている。 「城ヶ崎くん、コーヒーができたわ。」 そう言って、コーヒーカップを2つテーブルの上に置いた。麗名の顔を見た慎吾は驚いた。麗名の目からは涙が流れたあとがある。それなのに全然悲しそうではない。慎吾の身体は完全に硬直していた。 「わたし、どうしていいかわからないの。」 そう言ってコーヒーカップ一つを慎吾の方へ押した時、麗名の手が震え、カップが傾き、コーヒーがこぼれてしまった。慎吾は手を出してそれを抑えようとしたが間に合わなかった。 「ごめんなさい。」 「すいません。」 麗名と慎吾が同時にそう言った時に二人の手が触れ、次の瞬間には唇も触れた。麗名はちょっと後ずさりすると、完全に動揺した様子で、 「わたし、どうしよう。わたし、どうしよう。」 と繰り返している。 慎吾が話し始めた。 「先生、すいません。でも、オレ、もうどうしょうもないんだ。なんと言っていいかわからない。」 麗名はまだ動揺した様子で、「どうしよう。」といっている。顔は相変わらず赤く、興奮しているのは明らかだ。しばらくして麗名が観念したという様子で話し始めた。 「城ヶ崎くん、実は、わたし。実は、わたし、初めて会ったときからあなたのことを。あなたのことを考えていたんです。あなたが気がついたかどうかわからないけど、あなたに教材を渡す時になんだかいたずらに手が震えて。丁度さっきコーヒをこぼしてしまったときのように。それで、それから毎日・毎日が苦しくって。どうかして、あなたとお話出来ないかと考えていた。今日城ヶ崎君が急に現れた時、わたしはもう気絶同然でした。嬉しかったの。いや、それ以上。今、やっと二人だけに。」 そう言うと麗名はうつむいてしまった。 慎吾は信じられなかった。あの安城先生が自分のことをそんなに思っていてくれたなんて。あの安城先生が。もう世の中の他のことはどうでもよかった。すると麗名が突然立ち上がって言った。 「わたし、もう熱くなってしまって。ちょっと待っててね。」 と言うや他の部屋に行ってしまった。しばらくカサカサ、コトコトとした音がしていたが、直に戻ってくると、言った。 「こっちに来て。」 麗名が興奮している慎吾の手をとって通したのは彼女の寝室だった。慎吾はちょっと驚いた。そこは片付けたと思われる後にしては、かなり散らかっていたからだ。傍観者だったら引っ越して来て間もないからだと思うだろう。ただ、慎吾にはそんなことも麗名の「ごめんなさい。こんなところで。」という言葉も気にならなかった。そこがどんなところであろうがどんな状態であろうが、そんなことはこの二人にはもう関係のないことだった。 どのくらい経っであろう、麗名が仕方がないという感じで口を開いた。 「城ヶ崎君、もう遅いわ。帰らないと。お家の人が心配しているんじゃない?」 「先生、オレ、もうずうっとここにいたい。いや、今日のこの一日だけでももう死んでもいいくらいだ。」 すると、麗名がちょっとたしなめるように言った。 … Continue reading 慎吾と麗名の旅奏曲

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