“Love” is Not Really a Transitive Verb

O. Guy Morley September 22, 2019 When I was in a creative writing class, the topic was romance. The teacher let us discuss all the aspects of “love.” That’s when I drifted away into my own world. ――――――――――――――――――――――――――― People often say, “I love you!” But what would it mean? If you say “I love you” … Continue reading “Love” is Not Really a Transitive Verb

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慎吾と麗名の旅奏曲(2):東日本編

<<<Preview/事前公開>>> 2019年9月1日 蓮 文句 1.修学旅行 慎吾と麗名は高校三年の時、同級生だった。それでも二人は全く話をしたこともなく、慎吾は麗名の存在さえ気に留めていない様子だった。そんなある日、慎吾は親と隣町での買い物の帰り、町はずれのコンビニに寄った。慎吾はハッとした。そこのレジで働いていたのは麗名だった。話をしたこともない同級生が一生懸命働いている。なぜかとてもけなげに、と同時にしっかりして見えた。レジに行くのがなんとなく照れ臭く、何も買わずにそこを出た。それから、慎吾は麗名のことを気に掛け始めた。人並外れておとなしい。授業中もほとんど発言しない。休み時間には他の女子と静かに話していることもあったが、一人で窓の外を見ているようなことも多かった。 クラスでは、一学期の間にすでに東京への修学旅行の計画が持ち上がっていた。自由行動の班を決める時、慎吾は麗名が一人だけ話し合いに加わっていないことに気が付いた。後で噂を聞いたところ、麗名の家庭は旅行費用が払えないため修学旅行には行かないということだった。慎吾の家は飛びぬけて裕福ではないが経済的に困ったこともなかったので、この噂はショックであった。 修学旅行の三日前の夜、慎吾は町の中心部まで出かけ、バーに入った。酎ハイをオーダーして飲んでいるところを巡回とみられる警察官に未成年飲酒で補導された。ことの次第は翌日高校に報告され、慎吾は一週間の停学処分を言い渡された。と同時に、この期間にある修学旅行への参加も禁止された。 級友たちが修学旅行に出かけてしまった朝、慎吾は麗名に電話して湖畔を散歩しないかと誘った。 「石館君、散歩に誘ってくれてありがとう。でも、どうしてお酒なんか飲んでいたの?まさかわざと捕まるようなことをしたんじゃないよね?」 「そんなことないよ。たまたまそういう気分だっただけだよ。ところで、同じクラスに居るのに、鹿野内さんとはまだ一回も話したことなかったよね。」 「そうね、私無口だから。石館君はサッカー部で随分活躍していたの知ってたけど。」 「あ~引退するまではね。今は時間が出来た。みんな受験勉強に躍起だけど、僕はなんだか気が抜けたような感じだ。」 「石館君は優秀だからもう大学のこととかしっかり考えているんでしょ?」 「いや、全然。正直言って気が進まない。何を勉強したいとか、何かになりたいというものがまだないんだ。そんな状態で大学に行ってしまっていいのかなと思っている。それより、困ったことに、両親の方が真剣なんだ。」 「そうなの。知らなかった。」 二人は暫く何も話さなかった。突然慎吾が立ち止まり、湖に小石を投げた。その波紋だけが観光シーズンの終った湖面に広がっていった。 「鹿野内さん、気に障ったらごめん。実は、前に街はずれのコンビニに寄った時、レジで働いているのを見たんだけど。」 「そうなの。毎日働いているの。」 「えっ、毎日?大変だね。土日も?」 「そうなの。うち、貧しいから。」 「そんな。詮索するつもりじゃなかったんだけど。」 「いいの。わかっているわ。これは事実だからしかたがないの。修学旅行に行けなかったのもそのせい。それは知っているでしょ?」 「うん。噂で聞いた。で~、鹿野内さんが働いているところを見て、大人と一緒に働いているところを見て、なんだかすごく立派だなって思ったんだ。」 「ただ、お金のためにしていることなのに。私は年取った父と二人暮らしで、父は警備員の仕事。父の前の事業からの借金もあるので、なかなかまともな生活が出来ないの。」 「そうだったのか。大変だなぁ。ねぇ、ポテトチップス持ってきたけど食べる?」 「ありがとう。」 二人は近くのベンチに腰を掛けた。二人はじっと静かな湖面を見つめている。何をするというわけではないが、二人ともそれなりに落ち着いた時間を過ごしているようだった。 午後になって、麗名が言った。 「石館君、この後、またバイトがあるので行かないと。近くのバス停から行くの。今日誘ってくれてありがとう。みんな修学旅行に行ってしまって寂しかった。」 「来てくれてよかった。バス停まで送って行くよ。」 「ありがとう。」 慎吾は麗名がバスに乗る直前に尋ねた。 「鹿野内さん、明日も会ってくれる?」 「えぇ。」 「じゃ、また同じ時間に同じ所で。」 麗名はうなずいた。慎吾は麗名のバスが来るまで待ち、見送った。 次の日、慎吾は少し時間に遅れてきた。 「ごめん。出際にちょっと両親と言い争いがあって。停学になって怒っているんだ。そして毎日ぶらぶらしているとか。大学受験にも差し支えるとか。もう嫌気がさす。」 「ごめんなさい。私に会ってくれるためにそんなこと言われて。それに、どうしても石館君はわざと修学旅行に行かないようにしたと思えて。」 「そんなことないよ。それに、もう修学旅行のことは忘れよう。それより、こうして鹿野内さんと会っていると気が休まる。うちの家族にはない暖かさがある。今日も会えて嬉しいんだ。」 「それだったらいいんだけど。もし昨日石館君が誘ってくれなかったら、私、多分家でずっと泣いていたと思う。私、何の取柄もないのに誘ってくれて、ありがとう。」 「来てくれて、嬉しいよ。」 二人は暫く黙って湖畔を歩いた。今日は少し風が出ている。昼に差し掛かったころ、麗名がバッグから何やら取り出した。 「石館君、よかったら、お昼食べない?おにぎり作ってきたの。」 「ほんと?お腹空いていたんだ。おにぎりいいな。昨日はポテトチップスだけでごめん。」 「当たり前の鮭のおにぎりだけど、いい?」 「鮭、大好きだよ。」 「父の夜食にいつも鮭のおにぎりを用意するの。うちではご馳走なの。父はほとんど毎日夜働いているでしょ。いつも入れ違いで寂しいことが多いの。それに、私の母は私が中学の時に病気で死んでしまったし。」 「そうだったんだ。」 おにぎりを食べ終わると二人はまた歩きだした。また少し風が強くなっている。 「この分だと明日は雨かな。今日のうちにちょっとボートでも乗ろうか。」 「えっ?ボート?」 「うん。そこにあるじゃない。もう観光客もいないし、僕らが少し乗ったって構わないよ。」 麗名はためらっている。それでも、慎吾はさっさとボートの所へ行き、湖岸まで引っ張っていった。 「鹿野内さん、おいでよ。」 … Continue reading 慎吾と麗名の旅奏曲(2):東日本編

慎吾と麗名の旅奏曲(1):環太平洋編

2019年8月1日(若干修正:2019年9月1日) 蓮 文句 これは、先に発表された第一話「もう先生と呼ばないで」と第二話「きみの意識が戻るまで」の後続九話を含めた全11話です。第一話と第二話は個別に発表されたものと若干異なっている箇所があります。 1.もう先生と呼ばないで 慎吾は高校三年になって初めての英語のクラスに行くところだった。今までの教師が退職したので、新任の若い女の先生が来るということを聞いていた。いずれにしても慎吾は英語の授業をずっと嫌ってきたので、大した違いは無いだろうと思っていた。麗名は大学を卒業してすぐに慎吾の高校へ赴任してきた。三週間の教育実習の他は教壇に立ったことはなく、相当に緊張していたことに間違いはない。教師として最初のクラスは尚更のことだ。 慎吾が教室に着くと麗名はもう教室の前に居た。彼は麗名を見たその瞬間にもう完全に参ってしまった。彼は今まで何人か同級生と付き合った事はあるが、深い仲になったことはない。そして、たった今のようにどうしようもない感覚を覚えたこともなかった。そんな状況で慎吾が授業内容に注意を向けられたわけがない。途中麗名が一人ずつに教材を配ったとき、慎吾は麗名の手が少し震えているような気がした。新任の教師だからやっぱり緊張しているのかなと思った。それより、慎吾は自分の興奮状態を収めることに精一杯だった。 それから数週間が過ぎた。慎吾の麗名への想いはとどまる所を知らず、英語だけでなく全ての授業中、いや一日中そのことばかり考えていた。英語の授業はむしろ苦痛にさえなってきた。この憧れの人が級友皆に平等に英語を教えているからだ。もうたまらない。ある日の放課後、慎吾はこっそりと麗名のあとをつけた。同じ電車に乗り、同じ駅で降り、少し離れてついて行った。慎吾の心臓はもう破裂寸前だった。 麗名が自分のアパートのドアを開けようとした時、「先生。」という小さな声がした。振り返ると、そこには慎吾が立っていた。その時の麗名の驚き様はただものではなかった。「あっ」と叫んでいる様な顔をしているが声は出ていない。慎吾を凝視したまま凍結してしまったようだ。しばらくしてやっと麗名が口を開けた。 「あの、城ヶ崎君、どうしてここに。」 それは、半分は教師が生徒をたしなめるような口調であったが、後の半分は旅先で旧友にあったときのような親しみがあった。慎吾はきまりが悪そうに返答した。 「すいません。悪いとは思いながらついてきたんです。先生、すいません。どうしようもなかったんです。」 麗名はすぐには返答できなかった。そして思い切るように言った。 「城ヶ崎君、それはどういうことですか。」 麗名の顔は少し赤らいでいる。慎吾はもうすべて言うしかないと思っていた。 「先生。先生を一目見た時からもう頭が一杯で。授業中も苦しいくらいで。もう、直接会って話をしないと耐えられないと思ったんです。」 麗名は返答に困っているようだった。顔は更に赤くなってきた。しばらく経って、やや落ち着いてきたかと思われるとポツリと言った。 「城ヶ崎君、とにかく中に入って。こんなところを他の人に見られてしまっては。」 麗名は鍵を開けると慎吾を中に通した。アパートの中はガランとした感じで、隅には幾つか段ボール箱が積んであった。麗名は慎吾を小さな椅子に座らせると台所の流しの方を向いてしまった。そして、麗名の次の言葉は慎吾には少し意外だった。 「城ヶ崎君、コーヒー飲む?」 慎吾はもう信じられなかった。あの安城先生のアパートに二人だけでいる。 「二人だけ。先生、夢のようです。本当にどうして良いか分からなかったんです。」 麗名の方はうつむいてコーヒーの用意をしている。慎吾には麗名の表情どころか顔さえ見えなかった。次に麗名は独り言のように言った。 「こんな状態が学校に知れたら、わたしすぐクビにされてしまう。どうしよう。」 麗名が心配しているのを悟った慎吾はすかさず返事した。 「先生、オレ、絶対、誰にも何にも言わないから。心配しないで。」 麗名はそれには反応しなかった。まだコーヒーの方を向いている。少し身体が震えているようでもある。 「先生、すいません。悪い事だとは分かっていたし、先生を困らせようというつもりは全然なかったんだ。」 「城ヶ崎君。分かっているわ。わたし、今言った通り自分の仕事の事が心配なのは本当なんです。でも、実はもっと切迫していることがあって。」 慎吾にはその意味は全くわからなかった。 「もっと切迫していることって?」 麗名はまだコーヒーの方を向いている。 「城ヶ崎くん、コーヒーができたわ。」 そう言って、コーヒーカップを2つテーブルの上に置いた。麗名の顔を見た慎吾は驚いた。麗名の目からは涙が流れたあとがある。それなのに全然悲しそうではない。慎吾の身体は完全に興奮していた。 「わたし、どうしていいかわからないの。」 そう言ってコーヒーカップ一つを慎吾の方へ押した時、麗名の手が震え、カップが傾き、コーヒーがこぼれてしまった。慎吾は手を出してそれを抑えようとしたが間に合わなかった。 「ごめんなさい。」 「すいません。」 麗名と慎吾が同時にそう言った時に二人の手が触れ、次の瞬間には唇も触れた。麗名はちょっと後ずさりすると、完全に動揺した様子で、 「わたし、どうしよう。わたし、どうしよう。」 と繰り返している。 慎吾が話し始めた。 「先生、すいません。でも、オレ、もうどうしょうもないんだ。なんと言っていいかわからない。」 麗名はまだ動揺した様子で、「どうしよう。」といっている。顔は相変わらず赤く、興奮しているのは明らかだ。しばらくして麗名が観念したという様子で話し始めた。 「城ヶ崎くん、実は、わたし。実は、わたし、初めて会ったときからあなたのことを。あなたのことを考えていたんです。あなたが気がついたかどうかわからないけど、あなたに教材を渡す時になんだかいたずらに手が震えて。丁度さっきコーヒをこぼしてしまったときのように。それで、それから毎日・毎日が苦しくって。どうかして、あなたとお話出来ないかと考えていた。今日城ヶ崎君が急に現れた時、わたしはもう気絶同然でした。嬉しかったの。いや、それ以上。今、やっと二人だけに。」 そう言うと麗名はうつむいてしまった。 慎吾は信じられなかった。あの安城先生が自分のことをそんなに思っていてくれたなんて。あの安城先生が。もう世の中の他のことはどうでもよかった。すると麗名が突然立ち上がって言った。 「わたし、もう熱くなってしまって。ちょっと待っててね。」 と言うや他の部屋に行ってしまった。しばらくカサカサ、コトコトとした音がしていたが、直に戻ってくると、言った。 「こっちに来て。」 麗名が興奮している慎吾の手をとって通したのは彼女の寝室だった。慎吾はちょっと驚いた。そこは片付けたと思われる後にしては、かなり散らかっていたからだ。傍観者だったら引っ越して来て間もないからだと思うだろう。ただ、慎吾にはそんなことも麗名の「ごめんなさい。こんなところで。」という言葉も気にならなかった。そこがどんなところであろうがどんな状態であろうが、そんなことはこの二人にはもう関係のないことだった。 どのくらい経っであろう、麗名が仕方がないという感じで口を開いた。 「城ヶ崎君、もう遅いわ。帰らないと。お家の人が心配しているんじゃない?」 「先生、オレ、もうずうっとここにいたい。いや、今日のこの一日だけでももう死んでもいいくらいだ。」 すると、麗名がちょっとたしなめるように言った。 「そんな。変なこと言わないで。わたしのそばにいて。それから、城ヶ崎君、わたし達もう男と女の関係になってしまったのだから、わたしのこと『先生』って言うの辞めてください。」 … Continue reading 慎吾と麗名の旅奏曲(1):環太平洋編

きみの意識が戻るまで

2019年7月24日(若干修正:2019年8月20日) 蓮 文句 以前、高校三年生の慎吾と新任英語教師、麗名の出会いの話を「もう先生と呼ばないで」という題で紹介したことがあります。その後、また新しい情報が入りました。連絡を頂いた匿名希望の警察官、看護師、無職の男性、占い師、旅行会社社員、その他若干名の皆様に感謝します。ここではその内容を当人の把握した範囲でまとめてあります。 その日の放課後、慎吾は自宅に帰るとすぐに両親に話をした。麗名とは最初のクラスで出会ったときから一目惚れだったこと、昨日麗名のアパートで一夜を過ごしたこと、そして、これから二人で生活したいこと。麗名のアパートに泊まる前、慎吾は誰とは言わずに両親に電話で承諾を得ているので、両親はことの成り行きは察していた。そして、この型破りな両親は慎吾を十分信頼していたため慎吾の希望は喜んで受け入れてくれた。 慎吾は急いでボストンバッグに着替えと教科書を積めて麗名のアパートへ向かった。麗名との新しい生活が目に浮かび、慎吾の心は喜びに満ちていた。ところが、アパートに着いてベルを鳴らしたのだが返事が無い。変だなと思ったが、多分まだ買い物でもしているのだろうと思い、そのまま待っていた。10分経ち、20分経ち、1時間も過ぎた頃には、慎吾は不安になってきた。どうしたんだろうかと。 1時間と39分が過ぎた時重々しい足音とともに現れたのは、麗名ではなく、一人の警察官だった。慎吾はとてつもない不安に包まれた。警察官は慎吾を見ると言った。 「しんごさんですか?」 慎吾は無言だった。 「実は、言いづらいのですが、安城麗名さんは交通事故に遭って病院にいます。」 慎吾は目前が真っ暗になった。彼の初めての真剣な恋人。まだ一晩しか一緒に過ごしたことがない人。 慎吾はやっとの思いで口を開いた。 「どうしたんですか?!」 「麗名さんは、自転車との接触事故で転倒し、出血多量で意識不明です。目撃者の話では、『しんごさん』、『アパート』とふた言だけ言い残して意識を失ってしまってしまったようです。そのため、私がそのしんごさんを探すべくここに来たのです。一緒に来たください。」 慎吾が病院に駆けつけた時、麗名は救急病室に横たわっていた。間違いなく、あの麗名。慎吾が昨夜を共にしたあの人。苦しんでいる様子はない。ごく僅かに微笑んでいるかのようでもあり、あまりに落ち着いている。そばには麗名の両親と思われる人がいた。 「すいません。麗名さんに、麗名さんに、話しかけてもいいですか?」 慎吾は全力を振り絞って言った。 「失礼ですがあなたは?」 その両親らしき二人は慎吾に聞いた。慎吾はなんと答えていいかわからなかった。 「あのぉ、あのぉ、麗名さんを慕っている者です。いいえ、麗名さんの恋人です。麗名さんの新しい恋人です。城ヶ崎慎吾といいます。」 その両親らしき二人は顔を見合わせた。 「そうですか。私達は詳しいことは知らないのですが、事故の少し前に麗名から電話を受け、恋人が出来たと聞きました。とても嬉しそうでした。あなたがその人ですね。」 慎吾は涙をこらえられなかった。ただ、ただ、泣きながらうなずいた。父らしい人の話によると、麗名は出血多量で意識不明。脊椎損傷の可能性あり。生存の可能性は五分五分。一命をとりとめた場合、生涯車椅子生活の可能性大。慎吾は麗名の手を握って泣いた。麗名の手にはまったく力が無かった。どうして?どうして?運命はあまりに過酷すぎる。 しばらく経ってから、慎吾はその両親らしき二人に聞いた。 「動揺していたので失礼しました。麗名さんのご両親ですか?」 二人はうなずいた。 「麗名さんがこんなことになってしまって。あまりにひどすぎる。」 今度は、麗名の母が言葉を発した。 「慎吾さん、麗名は気を失う前にあなたの名前を言いました。最後の力を振り絞ってまで言いたかったのはあなたの名前です。私にはわかります。あなたが彼女にとって最も大切な人になっていたのです。」 この言葉は慎吾にとって救いでもあり、攻めているようでもあった。 「すいません。麗名さんを事故から守れなくって。」 慎吾のこの言葉には麗名の父が答えた。 「慎吾さん、自分を攻めてはいけません。これは誰の責任でもありません。」 「麗名さんのお父さん、お母さん、今晩ここに泊まってもいいですか?」 二人はまた顔を見合わせた。そして、二人共うなずいた。 慎吾は何もせずに麗名のベッドの横に座っていた。両親は病室から出たり入ったりしていたが、やがて病室の外で待機すると言って出ていった。病室には慎吾と麗名二人だけが残された。二人だけの二晩目の夜。前夜とのあまりの違いに慎吾は愕然としていた。食べる気力も、飲む気力も無かった。ただ、ひたすらに待った。麗名の意識が戻るのを待った。 長い一夜が開けても地下の緊急病室に朝日はやってこなかった。次の日、麗名は幾つか検査を受けるために病室から連れ去られた。無い力を振り絞り、慎吾は母親に電話し高校に連絡してくれるように頼んだ。慎吾はもう学校に行く気力も意志も全くなかった。母はとりあえず休学の手続きを取ってくれると言った。麗名の両親も高校に連絡して麗名の状況を伝えていた。この日から急に麗名と慎吾の両者が休みになっていろいろな噂もされることだろう。しかし、そんなことは慎吾にはどうでもよかった。 検査の後、麗名は一般病室に移された。やはり、脊椎損傷があるとのことだった。慎吾はそういった障害のことはまったく知らず、不安は更に深まった。どのような状態でもいい、一刻も早く麗名の意識が戻ってほしい。慎吾は思った。そして、麗名のもとからほとんど離れなかった。 麗名の両親は交代で家に帰っているようだった。学校には状況が状況なので見舞は控えて欲しいと伝えたらしい。学校からは誰も来なかった。時折、麗名の親類と思われる人たちが来た。そのような時は、慎吾は病室から出て、少し屋外に出たりしてみた。外の光は必要以上に眩しく、痛いくらいだった。辛かった。 麗名の事故から数日経った。どうやら麗名は危篤状態からは抜け出したらしい。ただし、意識回復の様子はまったく見られない。麗名の両親は慎吾のことも心配しだし、休みを取るように頼んだ。確かに、慎吾の体力も確実に衰えてきていた。 その頃、慎吾が気がついたことがある。毎日決まって夕刻に一人の男性が現れる。慎吾がいつも部屋の中に居るためか、その男性はドアの外から異常に丁寧にお辞儀をして立ち去っていく。気になって、ある日慎吾はその男性に声をかけてみた。 「あのぉ、どうしましたか。」 その男性はすぐには返答しなかった。何故か異常にためらっている。慎吾は少し不審に思った。しばらくの沈黙の後、その男性は弱々しい声で答えた。 「実は、私がその自転車に乗っていたんです。」 慎吾はすぐには理解できなかったが、やがてその男性の自転車が麗名に衝突したのだということに気がついた。慎吾はそれ以上の状況を知らなかったのでなんとも言いようがなかった。その男性は続けた。 「あの時、後ろに乗っていた子供が急に泣き出したために、私の注意がそれてしまったのです。当然それは言い訳にはなりません。この人を意識不明の状態に陥れてしまったことに弁明の余地はありません。私はもう生きた心地がしないのですが、子供のことを考えると今死を選ぶわけにもいきません。私が慌てて、倒れているこの人のところに駆け寄った時、この人は言ったのです。『しんごさん』そして『アパート』と。あなたがしんごさんですね。私はあなたに声をかけることも出来ずにいつもドアの外でお詫びをして、いや、しようとして、そして立ち去ることしか出来なかったのです。もちろんそれが無意味なことはよくわかります。私自信、私の妻を数年前交通事故で亡くしているものですし。」 その話の間、慎吾の気持ちは一瞬麗名からこの男性に移った。たとえ事故の加害者とはいえ、とても気の毒な気がした。責める気にはなれなかった。慎吾は一言、 「そうだったんですか。」 と言っただけだった。その男性はその後も毎日麗名の部屋のドアのところまで来た。慎吾も毎回その男性に頭を下げた。 事故から一週間と少し経ったろうか、夜中、もう早朝と言ったほうがいいかもしれない頃、慎吾の耐えきれない気持ちは相当高くなっていた。麗名の意識が戻らなかったら自分は生きていけるだろうか。慎吾は真剣にそう考え始めていたのだ。と同時に、疲労も激しく、体力の限界にも達してきていた。飲み物を買いに病院の1階ロビーに行った時に目にとまったのは「命の電話」のポスターだった。涙ぐんだ目をこすりながら、その番号を携帯に入力して呼び出しボタンを押した。 ずいぶん長い間呼び出し音がしてから眠そうな声で返答があった。 「もしもし。」 「助けてください。もう限界に来ているんです。」 「はぁ。」 「このままだったら、もう生きていけるかどうかわからないんです。」 「あのぉ。」 … Continue reading きみの意識が戻るまで

もう先生と呼ばないで

2019年7月24日(若干修正:2019年8月16日) 蓮 文句 慎吾は高校三年になって初めての英語のクラスに行くところだった。今までの教師が退職したので、新任の若い女の先生が来るということを聞いていた。いずれにしても慎吾は英語の授業をずっと嫌ってきたので、大した違いは無いだろうと思っていた。麗名は大学を卒業してすぐに慎吾の高校へ赴任してきた。三週間の教育実習の他は教壇に立ったことはなく、相当に緊張していたことに間違いはない。教師として最初のクラスは尚更のことだ。 慎吾が教室に着くと麗名はもう教室の前に居た。彼は麗名を見たその瞬間にもう完全に参ってしまった。彼は今まで何人か同級生と付き合った事はあるが、深い仲になったことはない。そして、たった今のようにどうしようもない感覚を覚えたこともなかった。そんな状況で慎吾が授業内容に注意を向けられたわけがない。途中麗名が一人ずつに教材を配ったとき、慎吾は麗名の手が少し震えているような気がした。新任の教師だからやっぱり緊張しているのかなと思った。それより、慎吾は自分の興奮状態を収めることに精一杯だった。 それから数週間が過ぎた。慎吾の麗名への想いはとどまる所を知らず、英語だけでなく全ての授業中、いや一日中そのことばかり考えていた。英語の授業はむしろ苦痛にさえなってきた。この憧れの人が級友皆に平等に英語を教えているからだ。もうたまらない。ある日の放課後、慎吾はこっそりと麗名のあとをつけた。同じ電車に乗り、同じ駅で降り、少し離れてついて行った。慎吾の心臓はもう破裂寸前だった。 麗名が自分のアパートのドアを開けようとした時、「先生。」という小さな声がした。振り返ると、そこには慎吾が立っていた。その時の麗名の驚き様はただものではなかった。「あっ」と叫んでいる様な顔をしているが声は出ていない。慎吾を凝視したまま凍結してしまったようだ。しばらくしてやっと麗名が口を開けた。 「あの、城ヶ崎君、どうしてここに。」 それは、半分は教師が生徒をたしなめるような口調であったが、後の半分は旅先で旧友にあったときのような親しみがあった。慎吾はきまりが悪そうに返答した。 「すいません。悪いとは思いながらついてきたんです。先生、すいません。どうしようもなかったんです。」 麗名はすぐには返答できなかった。そして思い切るように言った。 「城ヶ崎君、それはどういうことですか。」 麗名の顔は少し赤らいでいる。慎吾はもうすべて言うしかないと思っていた。 「先生。先生を一目見た時からもう頭が一杯で。授業中も苦しいくらいで。もう、直接会って話をしないと耐えられないと思ったんです。」 麗名は返答に困っているようだった。顔は更に赤くなってきた。しばらく経って、やや落ち着いてきたかと思われるとポツリと言った。 「城ヶ崎君、とにかく中に入って。こんなところを他の人に見られてしまっては。」 麗名は鍵を開けると慎吾を中に通した。アパートの中はガランとした感じで、隅には幾つか段ボール箱が積んであった。麗名は慎吾を小さな椅子に座らせると台所の流しの方を向いてしまった。そして、麗名の次の言葉は慎吾には少し意外だった。 「城ヶ崎君、コーヒー飲む?」 慎吾はもう信じられなかった。あの安城先生のアパートに二人だけでいる。 「二人だけ。先生、夢のようです。本当にどうして良いか分からなかったんです。」 麗名の方はうつむいてコーヒーの用意をしている。慎吾には麗名の表情どころか顔さえ見えなかった。次に麗名は独り言のように言った。 「こんな状態が学校に知れたら、わたしすぐクビにされてしまう。どうしよう。」 麗名が心配しているのを悟った慎吾はすかさず返事した。 「先生、オレ、絶対、誰にも何にも言わないから。心配しないで。」 麗名はそれには反応しなかった。まだコーヒーの方を向いている。少し身体が震えているようでもある。 「先生、すいません。悪い事だとは分かっていたし、先生を困らせようというつもりは全然なかったんだ。」 「城ヶ崎君。分かっているわ。わたし、今言った通り自分の仕事の事が心配なのは本当なんです。でも、実はもっと切迫していることがあって。」 慎吾にはその意味は全くわからなかった。 「もっと切迫していることって?」 麗名はまだコーヒーの方を向いている。 「城ヶ崎くん、コーヒーができたわ。」 そう言って、コーヒーカップを2つテーブルの上に置いた。麗名の顔を見た慎吾は驚いた。麗名の目からは涙が流れたあとがある。それなのに全然悲しそうではない。慎吾の身体は完全に興奮していた。 「わたし、どうしていいかわからないの。」 そう言ってコーヒーカップ一つを慎吾の方へ押した時、麗名の手が震え、カップが傾き、コーヒーがこぼれてしまった。慎吾は手を出してそれを抑えようとしたが間に合わなかった。 「ごめんなさい。」 「すいません。」 麗名と慎吾が同時にそう言った時に二人の手が触れ、次の瞬間には唇も触れた。麗名はちょっと後ずさりすると、完全に動揺した様子で、 「わたし、どうしよう。わたし、どうしよう。」 と繰り返している。 慎吾が話し始めた。 「先生、すいません。でも、オレ、もうどうしょうもないんだ。なんと言っていいかわからない。」 麗名はまだ動揺した様子で、「どうしよう。」といっている。顔は相変わらず赤く、興奮しているのは明らかだ。しばらくして麗名が観念したという様子で話し始めた。 「城ヶ崎くん、実は、わたし。実は、わたし、初めて会ったときからあなたのことを。あなたのことを考えていたんです。あなたが気がついたかどうかわからないけど、あなたに教材を渡す時になんだかいたずらに手が震えて。丁度さっきコーヒをこぼしてしまったときのように。それで、それから毎日・毎日が苦しくって。どうかして、あなたとお話出来ないかと考えていた。今日城ヶ崎君が急に現れた時、わたしはもう気絶同然でした。嬉しかったの。いや、それ以上。今、やっと二人だけに。」 そう言うと麗名はうつむいてしまった。 慎吾は信じられなかった。あの安城先生が自分のことをそんなに思っていてくれたなんて。あの安城先生が。もう世の中の他のことはどうでもよかった。すると麗名が突然立ち上がって言った。 「わたし、もう熱くなってしまって。ちょっと待っててね。」 と言うや他の部屋に行ってしまった。しばらくカサカサ、コトコトとした音がしていたが、直に戻ってくると、言った。 「こっちに来て。」 麗名が興奮している慎吾の手をとって通したのは彼女の寝室だった。慎吾はちょっと驚いた。そこは片付けたと思われる後にしては、かなり散らかっていたからだ。傍観者だったら引っ越して来て間もないからだと思うだろう。ただ、慎吾にはそんなことも麗名の「ごめんなさい。こんなところで。」という言葉も気にならなかった。そこがどんなところであろうがどんな状態であろうが、そんなことはこの二人にはもう関係のないことだった。 どのくらい経っであろう、麗名が仕方がないという感じで口を開いた。 「城ヶ崎君、もう遅いわ。帰らないと。お家の人が心配しているんじゃない?」 「先生、オレ、もうずうっとここにいたい。いや、今日のこの一日だけでももう死んでもいいくらいだ。」 すると、麗名がちょっとたしなめるように言った。 「そんな。変なこと言わないで。わたしのそばにいて。それから、城ヶ崎君、わたし達もう男と女の関係になってしまったのだから、わたしのこと『先生』って言うの辞めてください。」 慎吾はちょっと困惑したようだったが、すかさず対抗した。 「先生も、オレのこと『城ヶ崎君』って言うのおかしいな。」 … Continue reading もう先生と呼ばないで

摩天楼で昼食を

2019年5月23日 蓮 文句 当人は普通、夢の内容を覚えていられないのですが、昨夜は丁度クライマックスで目が覚めたためかこの話は今でも覚えています。ひょっとしたら、その時泣いていたからかもしれません。主人公は確か浜さんという名前だったと思います。彼は仕事の関係で高層ビルにオフィスを持つ会社に届け物をする最中でした。 浜さんは、仕事柄、市内の各所に出向くのですが、このビルは初めてでした。84階のオフィスに行くにはどうしたものかと思っていました。エレベーターは何十とあり、行先階ごとに異なるエリアから乗るようです。どうやら84階への直行はなく、78階まで「エクスプレス」で行き、その後乗り換えないといけないようでした。エクスプレスは上下の動きをほとんど感じさせないスムースな加速そして減速でした。ビルの高さを感じたのは途中、キーンと耳が痛くなったことくらいでしょうか。 78階でおり、84階に行くべく「ローカル」のエレベーターに乗り込みました。ところが、なぜかこのエレベータ84階には止まらずにこのエレベータの最上階の92階まで行ってしまいました。仕方なくそこで降りると、そこはフードコートのようなところでした。こんな高層ビルの92階に、高級レストランならいざ知らずフードコートは変だなと思いながら、ちょっと覗いてみたくなりました。まだ昼食の時間には少し早く客足はほとんどありません。いい匂いだけがしています。浜さんのお腹がゴロゴロと言い始めました。 当人だったらそこで昼食にしてしまったかもしれません。でも、浜さんは届け物のことを忘れたわけではありません。すぐにエレベータの方にもどりました。84階に行くのを探して乗り込みました。入った途端に、エレベータの鉄の臭いではなく何か美味しそうな匂いがしてきました。エレベータの奥には小さなテーブルがあり、そこにはいくつかのグラスに白ワインらしきものが入っており、横にはチーズと何種類かのハムのようなものが置いてあります。エレベータには黒いタキシードを着た男が数人いて楽し気に会話をしています。浜さんはお腹が空いてきた故、チーズに手を出したいかなと思いました。めったに飲んだことのない白ワインも悪くないかなとさえ考え始めました。 ところが、男たちの一人が『どこに行くんだ。』と聞いてきたので、84階のオフィスのことを言うと、エレベータが違うという返事です。男たちは変な眼で見ています。したかなく、ドアが開いたときに降りるとそこは荷物用のエレベータの止まる階のようで、小さな味気ないスペースがあるだけで、少しかび臭いような感じさえしました。エレベータは今降りたものしかなく、呼ぶための上下のボタンはありませんでした。幸い、スペースの一角に階段と思われるドアがありました。浜さんはかつて市内のビルの階段では苦い経験をしたことがあります。階段ですぐ下の階に移動しようとしたところ、他の階へは出られず、地上の非常口まで降りなければならなかったのです。そのビルはたったの8階建てだったので大したことはありませんでした。今回は少なくとも84階より高いところにいるので、地上まで歩いて降りるわけにはいきません。階段へのドアを開けた後、カバンの中から、もうでなくなったペンを取り出し、ドアに挟みました。こうしておけば、万が一の時はこの階には戻ってこれる。このとき、カバンにお弁当が入っていないことに気が付きました。今朝は、急いでいたので忘れてしまったのです。 そこから、一階ずつ下に降りてはその階にでるドアを開けようとしました。三~四階降りたところでこの階段のシャフトは終わっていて、そのドアが開きました。さっきのフードコートからは降りてきていたはずなのに、目前にはまたあとフードコートがありました。もう一度当たりを見回すと、今回は下に行くエスカレータがあることに気が付きました。この長いエスカレータを使って2階ほど下に行くと、またエレベータの乗り場があります。この時までにはエレベータにこりごりしていたので、乗る前に他の人にどの階に行くのか聞いて84階に行く人が見つかるまで待ちました。ちょっと派手な紫色のスーツをきた男の人が84階に行くというのでその人と一緒にエレベータに乗り込み、一緒に降りました。確かに84階でした。 その男の人は浜さんの行くオフィスに働いているというのでそこまで案内してもらいました。やっと、届け物が出来ると安心しました。受付で持ってきた荷物を渡して帰ろうとすると送り主にお礼の品を届けて欲しいので少し待ってくださいと言われました。したかがないか、と待っていると、地味な灰色のスーツをきた男の人が『どうぞこちらに来てください』と言うのでついていくと、大きなパーティー会場みたいなところに通されました。どうなっているのかなと思っている間に、給仕のような人が数々の美味しそうな前菜を乗せたトレイを差し出して『どうぞ』と言うのです。そう言われて断る理由もないかと思い、浜さんは一つ頂きました。 その後誰もお礼の品を持ってきてくれるわけでもないので、ひとつ、またひとつと前菜を食べていました。しばらくすると、偉そうな人が出てきて『そろそろはじめるかな』と言いました。浜さんとしてはそろそろ帰りたいところでしたがまだ品物を受け取っていないので、どうすることもできずにいました。偉そうな人が一人若者を指さし、『始めろ』と言いました。この若者は劇の主役のように堂々とした態度でちょっとした「演説」を始めました。ただし、この演説、どうもこの会社の商品を売るための口上のようです。堂々としているのは態度だけでなく、話しの内容、話し方、すべてに言えることでした。商品の説明に関しては、浜さんにはすこし難しかったかもしれません。かなり理論的なことが入っていました。そして、最後には何かランプのようなものを持ち出し、それを高々と手に持ってぐるりと回転したのです。 若者が演説を終わったると、司会者が浜さんを指さし、あなたの番だと言うのです。浜さんは届け物をしに来ただけでこの会合とは関係ありませんと重ねて言ったのですが、受け入れてくれません。今日は変なことばかり起こるものだ、乗り掛かった舟だと思い、人々の前に出ました。浜さんは静かで人前で話すのは苦手な人柄なので、何も言わずにカバンからたまたま持っていたすでに切れた電球を高々と持ってぐるりと回転したのです。途端に、空腹のためか足がもつれ、手をついて転んでしまいました。持っていた電球は地面に落ちて割れてしまいました。浜さんは『申し訳ありません。塵取りをかしてください。』と言い、受け取ると即座にガラス片を片付け始めました。なんてことをしてしまったのかと思いました。 丁度その時、受付のお嬢さんが浜さんのところは駆け付けて、『お取込み中ですが、奥様がこれを届けてくれるようにとのことです。』と言いました。また、なんでこんな厄介な最中にと思いつつその包みを受け取ると、浜さんにはすぐわかりました。今朝忘れたお弁当です。おそらく、包みからして誰の目にもお弁当だということは明らかだったに違いありません。この取り柄のない奥さん、お弁当はと言えば、大方チーズサンド、冷凍の枝豆、そしてリンゴといった簡単なものです。それでも、もう何十年も一人先に起きて朝食とお弁当の準備をしてきました。この日は、浜さんお弁当を忘れてしまったので、奥さんがどうやって探し当てたかこのオフィスまで届けてくれたのです。 その時、あの偉そうな人が浜さんに立ち寄って、声をかけました。『こちらこそ、申し訳ないことをした。なんであなたにこんなことをさせたんだろう。あなたはなんて純情な人だろう。そして奥さんが弁当を届けてくれる。それに比べ、我々は自分たちの商品を必死で売り込もうとしてあらゆる手段を使っている。みんな自分の、自分だけの利益を追求している。今ほど自分のやっていることに疑問を持ったことはない。どうかこちらにきてください。このガラス片は私たちで片付けます。』 浜さんが通されたのはこの偉そうな人の社長室でした。84階の窓からは自由の女神をはじめ、美しいニューヨーク港が一目で見渡せました。『わたしはもう年だが、まだ後継者がいない。会社のものは私の後継ぎになるべくしのぎをけずっている。実は、あなたが何も言わずに電球を片付けているのを見たとき、私はあなたにこの会社を差し上げたいとさえ思った。ただ、私にもわかる。あなたはそんなものは欲しくない。いい迷惑だ。あなたはもう必要なものは持っている。どうぞ、ここでごゆっくり昼食をとってください。奥さんのお弁当があなたへの最高の贈り物に違いない。』社長はそう言うとさっさと部屋を出て行ってしまいました。浜さんは、今日はなんて不思議な日だろうと思いました。お弁当を食べ終えて外を眺めていると、何か異様なものが目に入りました。初めは鳥かラジコンの飛行機かなと思ったのですが、それがだんだんこのビルの方に近づいてくるように見えます。どんどん大きくなります。なんと、旅客機のようです。浜さんは、今まで経験したことのない恐怖に襲われました。次の瞬間には巨大な爆音とともにビル全体が大きく揺れ、照明が消えました。どす黒い煙が下の方から登ってきました。焦げ臭い臭いもしてきました。 直に社長が慌てふためいて飛び込んできました。『大変だ。ジェット機が突っ込んだ。地上への通路はすべて破壊されたらしい。あなたに受け取ってほしいものが一つだけある。特注で作らせたパラシュートがひとつだけある。全自動だ。これをしょって窓から飛び降りてほしい。』というや否や、社長はパラシュートを浜さんに着けさせ、窓を植木鉢で破り、浜さんを放り出したのです。 浜さんは何も考える時間がありませんでした。気が付いたときは真っ逆さまに高層ビルの横を落ちている最中でした。気絶しかかったときに大きな衝撃で目覚めると、パラシュートが開きビルから遠ざかり始めました。おそらくこの滑空型パラシュートはカメラとコンピュータが備わっているのでしょう。周りの高層ビルを避けながら近くの空き地へ着陸しました。即座に地上の消防団員が救出してくれました。その後、近くの避難所へ向けて歩いている途中、あの高層ビルが鼓膜を破るような爆音とともに崩壊するのが見えました。後から思えば、浜さんはあの社長に一言も言葉を返さなかったのではないでしょうか。