摩天楼で昼食を

2019年5月23日 蓮 文句 当人は普通、夢の内容を覚えていられないのですが、昨夜は丁度クライマックスで目が覚めたためかこの話は今でも覚えています。ひょっとしたら、その時泣いていたからかもしれません。主人公は確か浜さんという名前だったと思います。彼は仕事の関係で高層ビルにオフィスを持つ会社に届け物をする最中でした。 浜さんは、仕事柄、市内の各所に出向くのですが、このビルは初めてでした。84階のオフィスに行くにはどうしたものかと思っていました。エレベーターは何十とあり、行先階ごとに異なるエリアから乗るようです。どうやら84階への直行はなく、78階まで「エクスプレス」で行き、その後乗り換えないといけないようでした。エクスプレスは上下の動きをほとんど感じさせないスムースな加速そして減速でした。ビルの高さを感じたのは途中、キーンと耳が痛くなったことくらいでしょうか。 78階でおり、84階に行くべく「ローカル」のエレベーターに乗り込みました。ところが、なぜかこのエレベータ84階には止まらずにこのエレベータの最上階の92階まで行ってしまいました。仕方なくそこで降りると、そこはフードコートのようなところでした。こんな高層ビルの92階に、高級レストランならいざ知らずフードコートは変だなと思いながら、ちょっと覗いてみたくなりました。まだ昼食の時間には少し早く客足はほとんどありません。いい匂いだけがしています。浜さんのお腹がゴロゴロと言い始めました。 当人だったらそこで昼食にしてしまったかもしれません。でも、浜さんは届け物のことを忘れたわけではありません。すぐにエレベータの方にもどりました。84階に行くのを探して乗り込みました。入った途端に、エレベータの鉄の臭いではなく何か美味しそうな匂いがしてきました。エレベータの奥には小さなテーブルがあり、そこにはいくつかのグラスに白ワインらしきものが入っており、横にはチーズと何種類かのハムのようなものが置いてあります。エレベータには黒いタキシードを着た男が数人いて楽し気に会話をしています。浜さんはお腹が空いてきた故、チーズに手を出したいかなと思いました。めったに飲んだことのない白ワインも悪くないかなとさえ考え始めました。 ところが、男たちの一人が『どこに行くんだ。』と聞いてきたので、84階のオフィスのことを言うと、エレベータが違うという返事です。男たちは変な眼で見ています。したかなく、ドアが開いたときに降りるとそこは荷物用のエレベータの止まる階のようで、小さな味気ないスペースがあるだけで、少しかび臭いような感じさえしました。エレベータは今降りたものしかなく、呼ぶための上下のボタンはありませんでした。幸い、スペースの一角に階段と思われるドアがありました。浜さんはかつて市内のビルの階段では苦い経験をしたことがあります。階段ですぐ下の階に移動しようとしたところ、他の階へは出られず、地上の非常口まで降りなければならなかったのです。そのビルはたったの8階建てだったので大したことはありませんでした。今回は少なくとも84階より高いところにいるので、地上まで歩いて降りるわけにはいきません。階段へのドアを開けた後、カバンの中から、もうでなくなったペンを取り出し、ドアに挟みました。こうしておけば、万が一の時はこの階には戻ってこれる。このとき、カバンにお弁当が入っていないことに気が付きました。今朝は、急いでいたので忘れてしまったのです。 そこから、一階ずつ下に降りてはその階にでるドアを開けようとしました。三~四階降りたところでこの階段のシャフトは終わっていて、そのドアが開きました。さっきのフードコートからは降りてきていたはずなのに、目前にはまたあとフードコートがありました。もう一度当たりを見回すと、今回は下に行くエスカレータがあることに気が付きました。この長いエスカレータを使って2階ほど下に行くと、またエレベータの乗り場があります。この時までにはエレベータにこりごりしていたので、乗る前に他の人にどの階に行くのか聞いて84階に行く人が見つかるまで待ちました。ちょっと派手な紫色のスーツをきた男の人が84階に行くというのでその人と一緒にエレベータに乗り込み、一緒に降りました。確かに84階でした。 その男の人は浜さんの行くオフィスに働いているというのでそこまで案内してもらいました。やっと、届け物が出来ると安心しました。受付で持ってきた荷物を渡して帰ろうとすると送り主にお礼の品を届けて欲しいので少し待ってくださいと言われました。したかがないか、と待っていると、地味な灰色のスーツをきた男の人が『どうぞこちらに来てください』と言うのでついていくと、大きなパーティー会場みたいなところに通されました。どうなっているのかなと思っている間に、給仕のような人が数々の美味しそうな前菜を乗せたトレイを差し出して『どうぞ』と言うのです。そう言われて断る理由もないかと思い、浜さんは一つ頂きました。 その後誰もお礼の品を持ってきてくれるわけでもないので、ひとつ、またひとつと前菜を食べていました。しばらくすると、偉そうな人が出てきて『そろそろはじめるかな』と言いました。浜さんとしてはそろそろ帰りたいところでしたがまだ品物を受け取っていないので、どうすることもできずにいました。偉そうな人が一人若者を指さし、『始めろ』と言いました。この若者は劇の主役のように堂々とした態度でちょっとした「演説」を始めました。ただし、この演説、どうもこの会社の商品を売るための口上のようです。堂々としているのは態度だけでなく、話しの内容、話し方、すべてに言えることでした。商品の説明に関しては、浜さんにはすこし難しかったかもしれません。かなり理論的なことが入っていました。そして、最後には何かランプのようなものを持ち出し、それを高々と手に持ってぐるりと回転したのです。 若者が演説を終わったると、司会者が浜さんを指さし、あなたの番だと言うのです。浜さんは届け物をしに来ただけでこの会合とは関係ありませんと重ねて言ったのですが、受け入れてくれません。今日は変なことばかり起こるものだ、乗り掛かった舟だと思い、人々の前に出ました。浜さんは静かで人前で話すのは苦手な人柄なので、何も言わずにカバンからたまたま持っていたすでに切れた電球を高々と持ってぐるりと回転したのです。途端に、空腹のためか足がもつれ、手をついて転んでしまいました。持っていた電球は地面に落ちて割れてしまいました。浜さんは『申し訳ありません。塵取りをかしてください。』と言い、受け取ると即座にガラス片を片付け始めました。なんてことをしてしまったのかと思いました。 丁度その時、受付のお嬢さんが浜さんのところは駆け付けて、『お取込み中ですが、奥様がこれを届けてくれるようにとのことです。』と言いました。また、なんでこんな厄介な最中にと思いつつその包みを受け取ると、浜さんにはすぐわかりました。今朝忘れたお弁当です。おそらく、包みからして誰の目にもお弁当だということは明らかだったに違いありません。この取り柄のない奥さん、お弁当はと言えば、大方チーズサンド、冷凍の枝豆、そしてリンゴといった簡単なものです。それでも、もう何十年も一人先に起きて朝食とお弁当の準備をしてきました。この日は、浜さんお弁当を忘れてしまったので、奥さんがどうやって探し当てたかこのオフィスまで届けてくれたのです。 その時、あの偉そうな人が浜さんに立ち寄って、声をかけました。『こちらこそ、申し訳ないことをした。なんであなたにこんなことをさせたんだろう。あなたはなんて純情な人だろう。そして奥さんが弁当を届けてくれる。それに比べ、我々は自分たちの商品を必死で売り込もうとしてあらゆる手段を使っている。みんな自分の、自分だけの利益を追求している。今ほど自分のやっていることに疑問を持ったことはない。どうかこちらにきてください。このガラス片は私たちで片付けます。』 浜さんが通されたのはこの偉そうな人の社長室でした。84階の窓からは自由の女神をはじめ、美しいニューヨーク港が一目で見渡せました。『わたしはもう年だが、まだ後継者がいない。会社のものは私の後継ぎになるべくしのぎをけずっている。実は、あなたが何も言わずに電球を片付けているのを見たとき、私はあなたにこの会社を差し上げたいとさえ思った。ただ、私にもわかる。あなたはそんなものは欲しくない。いい迷惑だ。あなたはもう必要なものは持っている。どうぞ、ここでごゆっくり昼食をとってください。奥さんのお弁当があなたへの最高の贈り物に違いない。』社長はそう言うとさっさと部屋を出て行ってしまいました。浜さんは、今日はなんて不思議な日だろうと思いました。お弁当を食べ終えて外を眺めていると、何か異様なものが目に入りました。初めは鳥かラジコンの飛行機かなと思ったのですが、それがだんだんこのビルの方に近づいてくるように見えます。どんどん大きくなります。なんと、旅客機のようです。浜さんは、今まで経験したことのない恐怖に襲われました。次の瞬間には巨大な爆音とともにビル全体が大きく揺れ、照明が消えました。どす黒い煙が下の方から登ってきました。焦げ臭い臭いもしてきました。 直に社長が慌てふためいて飛び込んできました。『大変だ。ジェット機が突っ込んだ。地上への通路はすべて破壊されたらしい。あなたに受け取ってほしいものが一つだけある。特注で作らせたパラシュートがひとつだけある。全自動だ。これをしょって窓から飛び降りてほしい。』というや否や、社長はパラシュートを浜さんに着けさせ、窓を植木鉢で破り、浜さんを放り出したのです。 浜さんは何も考える時間がありませんでした。気が付いたときは真っ逆さまに高層ビルの横を落ちている最中でした。気絶しかかったときに大きな衝撃で目覚めると、パラシュートが開きビルから遠ざかり始めました。おそらくこの滑空型パラシュートはカメラとコンピュータが備わっているのでしょう。周りの高層ビルを避けながら近くの空き地へ着陸しました。即座に地上の消防団員が救出してくれました。その後、近くの避難所へ向けて歩いている途中、あの高層ビルが鼓膜を破るような爆音とともに崩壊するのが見えました。後から思えば、浜さんはあの社長に一言も言葉を返さなかったのではないでしょうか。

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論文の書き方(その1):論点の展開

2018年10月2日 蓮 文句 要旨:一般に論文の書き方というのは二の次にされる傾向があり、どうしたらよいかと気になっている方も多いのではないでしょうか。この文書は、論文を書く際に最も重要と思われる論点の中核にある「問題点」の取り扱いを解説します。この点を的確に理解し利用することにより、より読みやすく説得力のある論文が書けるようになるはずです。 序章 どうやってこの文書に辿り着いたにしても、読者の皆さまは論文の書き方に興味があるに違いありません。当人は何年も前のことですが論文の書き方がよくわからず苦労していました。そのころ関連の本を図書館で何十冊と詮索している間に一冊の本に巡り合いました。それはBooth他著『The Craft of Research』という本です。この本は当人のその後の論文作成に多大な影響があったので、ここで皆さまにも紹介したいと思うものです。原語で読むのが最高ですが、当人の言いたいこと二点はこの文書と別の『論文の書き方(その2):文章の展開』で概略を、当人の考えを含めてお伝えすることができるのではないかと思います。【背景】 さて、論文を書くというからには何か伝えたいこと、つまり論点があるわけです。そして、その論点をどのように論文の中で記述・展開していったら良いのでしょうか。この点がわからないのでは、説得力のある論文を書くことはできないでしょう。皆さまも他の論文を見て何を言いたいのかよくわからないと感じることはありませんか。【問題】 この文書ではこの論点の展開ということに焦点を置き簡潔に重要点を述べたいと思います。そして、この中核に「問題点」を明確にするということがあります。以下の本文では、問題点の客観的及び主観的な側面を紹介してそれをどのように論文の中で扱っていくかを書きます。【回答】 さて、本文に入る前に、いくつかお断りしておくことがあります。まず、この文書では序章(前書き・はじめに)、終章(結論・終わりに)、要旨(あらまし・概要)の中での論点の展開に焦点を置き、論文の本文の書き方については記述していません。次に、この文書はそれ自体ここで扱っている論文の書き方に準じています。詳しくはこの後の本文で書きますが、序章と終章の構成を示すための指標を【 】内に入れて各段落の後に付してあります。【注釈】 以下の本文では、「問題点」についての説明を始めに、序章、終章、要旨の構成について手短に記述します。【概要】 本文 「問題点」について 皆さまが論文を書く目的は何か新しい発見や考えを他の人に伝えたいからだと思います。ここで、最も重要なのはその伝えたいことを明快に適切に読者に伝えることだと思います。それが論点と言えましょう。この論点の中核をなすものが「問題点」です。下の公式に示すように、問題点には、二つの側面があります。 問題点 = 疑問 + 意義 「疑問」は問題点の客観的な側面で、質問形式で考えることができます。「意義」は問題点の主観的な側面で、その疑問を解決するとどんな利益があるか(「正」の見方)、あるいはその疑問に答えられないとどんな損害があるか(「負」の見方)を主張するものです。 例えば、ある研究者が特定のガン細胞の増殖を薬物で阻止する研究をしているとします。問題点の疑問を『そのガン細胞の増殖メカニズムはどうなっているか』と設定すれば、意義は『そのメカニズムがわかることによって、適切な薬物の判定が可能になる』などと言えましょう。 また、この文書(今読者の読んでいるこの文書のこと)の問題点の疑問は、『どうやって、論点を展開したらよいか』ということで、問題点の意義は『適切な論点の展開が出来なければ読者が文書を読んであるいは理解してくれない』と考えることができます。 尚、どんなに重要だと思われる問題点でもすべての人に意味があるわけではありません。したがって、この「意義」というのは相対的で、あくまでも特定の読者を想定する必要があるということです。かのアインシュタインの相対性理論でさえ世の多くの人には全く無意味なのです。 もう一点重要なことは、問題点自体様々なものがあります。大きく分ければ、実用的なものと理論的なものがあります。実用的な問題は我々の実社会に直接関与しているものです。すなわち、その問題点の疑問が実社会で問われるようなもので、その意義は実社会に直接影響を及ぼすようなものです。それに対して、理論的な問題点の疑問はは専門的なもので、その意義もごく一部の専門家にしか理解されないようなものです。 論文を書く場合には想定される読者層によって適切なレベルの問題点を取り上げ、その意義がその読者層に説得力があるものだということに注意しなければなりません。 序章の構成 序章の構成について最も重要なことは論文の問題点を徐々に導入していくということでしょう。なるべく一般的なことから入って次第に中核に触れるという姿勢です。流れとしては以下のような具合です。それぞれ、通常は一段落に収めることが出来るでしょう。 背景 ➞ 問題 ➞ 回答 まず、論文の背景から始めます。多くの論文は専門的であるため、突然に本題に入ることはリスクが大きすぎます。背景を記述するにあたって最も重要なことは読者を想定してその読者がどのようなことに興味を持っているかということから始めると良いでしょう。また、著者がその論文を書くきっかけになった事柄などを含むこともできます。 次に、問題点を提示します。これは、すでに書いた通りです。 その後、問題点に対する論文の「回答」を簡潔に書きます。当然、その論文自体が回答なので、あくまでも本文を読んでもらう興味をそそるように最も重要なことを手短に書くのです。なお、ここで「解答」と言わずに「回答」というのは、その論文が必ずしも問題点の疑問に完全には答えていないかもしれないということをわきまえているからです。たとえ、部分的な回答でも十分意義があればその論文の価値は伝わるでしょう。 以上が序章の最低限の構成ですが、論文の性質や長さによっては以下の二点も含むことが必要でしょう。 一点目は、必要に応じて注釈を加えるということです。例えば、論文の回答が完全な解答ではない場合など、あらかじめ断り書きを入れておくと良いでしょう。二点目は、比較的長い論文の場合には本文の概要が必要だということです。本文の各章のあらましを簡潔に記述すると良いでしょう。 この文書の序章も一応上記のガイドラインに沿って書いたつもりです。いかがでしょうか。 終章の構成 さて、序章の注釈に書いたようにこの文書では本文中での論点の展開は記述しないので、終章の構成に移ります。大まかに言って、終章は序章と反対の構成をとります。論文の中核から幅を広げていくのです。具体的には、以下のような順序で三段落を想定します。 回答 ➞ 意義 ➞ 将来 まずは、問題点の疑問に対する回答を簡潔にまとめます。次に、その疑問そして回答の意義を主張します。最後に、論文の結論に基づいた将来の方向を論じます。これらの内容は多くは序章と反復するものになりますが、終章は本文の後なのでよりパンチの効いた言い回しが可能になると思います。 この文書で序章と終章に限ったのは、この二つの章が最も重要だと思われからです。読者の中には論文全体を読む時間がないとか興味がないといる人もいるでしょう。そんな時には序章と終章だけ読むということあるかと思います。たとえ序章と終章だけ読んでも論文全体の言い分がよくわかるようであれば、極めて有効だと言えるでしょう。 要旨の構成 ことのついでに、もう一点だけ付け加えておきます。論文の要旨も重要なものです。読者の多くは、要旨をみてその先読むかどうか決めることでしょう。したがって、要旨も一般的なことから専門的なことへと記述を絞っていくこと必要です。そのため、その内容は序章と似たものになります。出発点としては、序章の三段落(背景、問題、解答)をそれぞれ一文ずつにまとめて三分で構成することができます。状況によってそれを書き直せば良いでしょう。 終章 この文書では、論点の展開について以下のようなことを述べました。「問題点」は客観的な「疑問」と主観的な「意義」という要素があり、それらを要所に明確に記述する必要があります。序章では問題点の背景から入り、問題点と回答と徐々に確信に迫ります。反対に終章では回答のまとめから始まり、問題点の意義、論文の将来の展望と進みます。【回答】 論点の展開は論文の最も重要なことなので、この点の書き方の基本を理解し実行するだけで、論文の読みやすさと説得力は倍増するはずです。他の論文を見てこの文書で言っていることが実行されているかどうか判断してみてください。【意義】 最後に、もし英語を読む気力があったらぜひBooth他著『The Craft of Research』を読んでみてください。そうでなくても、この文書に書いてあることを基にご自分で、あれやこれやと工夫されれば必ずや作文力が上がるでしょう。最後に、ここでは論文の作成に限って書いていますが、学会や集会での口頭の発表についても同じ原理が応用できることでしょう。【将来】 参考文献 Booth, Wayne C., et al. 2016. The Craft of … Continue reading 論文の書き方(その1):論点の展開

『忠告せぬべし』

2018年9月21日 蓮 文句 いや~、これはある友人によく言われる文句なのですが、これ自体忠告ではありませんか。もしこの友人が本当にそう思っているなら、この人こそそのような矛盾する文句を言うべきではありません。もしそう思っていないなら、当然そのような発言をすべきでもありません。それでも、最近はこの忠告一理あるなと思ってきたのです。 いずれにしても、ことの始まりは当人がどうしても他人にああだこうだと忠告してしまうことに発しております。他人があまりに無知・無学の様相を呈しているのに、放置しておくことが出来ましょうか。 他国にいるある知人が前回の大統領選挙の時、とんでもない人間に投票するというので『やめとけ』と言ったのです。当人に言わせればこんな人間が大統領になったらお先真っ暗なのは自明です。悪者の中でも少しはまともなやつを選べよと。驚くことにこの「知人」なんだかんだ言って当人の忠告を無視したのです。箱を開けてみればその大統領の悪さ加減は想像を絶するものでした。この「知人」が今頃どう思っているかちょっと気になることもあります。もう、交流はないのですが。 次はある親戚のことです。この親戚と当人とは一族の長老が他界した時に遺産相続に関わりました。実はこの親戚何十年も海外暮らしで、長老のところへはろくに訪れもせず、この長老の世話は親戚の姉が一手に引き受けていました。ところが、長老の天寿が全うしそうになるとこの親戚はすかさず駆け付け、長老に甘ったるい言葉をかけたり、家中を物色して何やら情報を詮索していたそうです。どうやら、それ以上悪賢いことを企んでいたようなのですが、直接聞いたわけではないので当人にはわかりません。そして葬儀が終わるや否や、長老の不動産を即座に売却して自分の相続分を手にしたいと言い始めました。「姉」とほかの親族はまだ「長老」の住居に愛着があり、即座に売却はしないと主張していました。遺産に関しては、法律上は、世話をしたかどうかにかかわらず一定の割合で親族に分配されるものです。それでも、当人に言わせれば、長老の遺産は世話をしていた姉が授かるのが自然の成り行きでした。この点忠告しようと思っていたのですが、この海外の親戚、争議を家庭裁判所に持ち込んだのです。これには閉口しました。 最後に他の友人のことです。この人はある日突然最終期のガンだと告知されました。この人は現代人らしく科学技術崇拝者で、ありとあらゆる最新の治療を試みました。その一つに放射線療法があります。これは多数の放射線を多角度から同時に一点にあててガンの存在する局所だけ攻撃するということらしいです。この技術は確かに、大した発想であるし、超高度の技術が要求されるものでしょう。また、化学療法も凄まじいものです。『毒』を人体に注入してガン細胞が母体より先に死ぬことを『期待』するのですから。ただ、当人の気になったのは、この友人そもそもどうしてガンになったのだろうかということです。聞いたところによれば、人体では常時ガン細胞のような変異が生じているそうです。環境・精神問題等によっては、そのような変異が以上に増えることもあるでしょう。ただし、健康体にはそのような前ガン的な変異を自然に取り除く仕組みがあるようです。ガンになるにはこの自然治癒力が7年から10年もの間阻害され続けている必要があるとも聞きました。もしそうだとすれば、この友人はそれだけ長い間何らかの問題を抱えて生活してきたと言えるようです。そう言われてみれば、この友人確かに職業、家族、その他の精神的な問題が少なからずあったのは当人も知っていました。どんなに最高の科学技術をもってしても、根底にある問題を解決しない限りガン細胞は同じペースで攻撃を続けるでしょう。そう思った時、当人はこの友人に重大な忠告をしたかったのです。ところが、まず根底にある問題から話を始めようとすると、この友人すぐに話題を治療法のことに変えるのです。結局当人はしたい忠告をする機会さえありませんでした。あとどのくらい生きられるかわかりませんが、この友人はおそらく自分がどうしてガンになったか、そしてひょっとしたら他に出来ることがあるか気が付かずに残りの人生を終わってしまうように思われます。 というわけで、忠告が役に立たないということは身を染みてわかってきてはいます。ところが、冒頭で述べたように、当人が皆さまにこの件を伝えるのに忠告という形をとることは出来ません。どうしたらよいでしょうか。 Also in PDF: Husmonk18-Chukoku

楢山節後

2018年9月3日 蓮 文句 皆様の中には深沢七郎の『楢山節考』をご存じの方もいるかと思います。これは民話に基づいた短編小説で、山奥の貧しい部落の慣習に従い年老いた母を背負って雪降る山奥へ捨てに行くという物語です。この物語は老婆おりんが山に捨てられるところで終わるのですが、実はおりんは近くの岩盤に書置きをしていたのです。これは、当人の知るある登山家から聞いたことですから、真偽のほどは不明ですが。 岩盤の記録によれば、おりんの最後は皆の想像するようなものではなかったようです。第一、死期の迫った老婆が岩盤に文字を記すなどというのは普通ではありません。記録の内容は概ね以下の通りです。 わしはもう、とうに死ぬ覚悟はできていたんじゃ。運よく雪も降り、ひとり安らかにいけると思うていたんじゃ。寒いには寒いが、これは何も今に始まったことではない。冬はいつもさむかったものの~。何も苦しいとは思わなんだ。ちらちらと昔のことが思い浮かんだの~。皆の衆の顔も見えたの~。そして、だんだん眠くなってきた。目はつむっていたに違いない。雪の積もる音がしんしんと聞こえたものじゃ。 どのくらいたったかわからねぇ。突然、なんか昔の唄のようなものが聞こえてきたんじゃ。あの独特の節回しと三味線の音、なんだか琉球の唄のようじゃった。わしらの先祖は遠い昔琉球から来たと聞いていたもんじゃ。こんなところで、どうしたのかと思ったじゃ。 すると、どこからともなく、ひとり、またひとりと神さま達がやってきたのじゃ。神さま達はいろいろな動物の姿をしたいたの~。じゃが、みんな人のように二本足で歩き話をしていたのじゃ。いつの間にか周りには屋台が立ち並び旨そうな飯が並んでいた。神さま達は好き勝手に飯を食らっていたの~。わしもなんだか腹が減ってきた。辰平(筆者注:おりんの息子)の包んでくれた握り飯を食らったの~。うまかったの~。村のみんなと一緒に飯を食らっているようじゃった。 また驚いたことに、いつの間にか目の前に温泉が湧いておる。湯舟もある。飯の終った神さま達は次々に湯船につかり始めたのじゃ。年をとってもわしはおなごじゃけん、湯船にはつからなっかたじゃ。それでも、湯気を浴びてなんだか暖かくなってきたのじゃ。 しまいに、神さま達はようやくわしの方を向いて言ったじゃ。『これ、おりん。お前さんもようがんばった。これからは、わしらの仲間に入ってゆっくり暮らすがよかの~。で、お前さんの体はここに残せぬ。その代わりと言っては何だが、この石に書置きをしたらよか。』 わしはおったまげてしまったじゃ。ありがてぇことだの~。皆の衆、元気で過ごせよ~。 おりん。 Also in PDF: Husmonk18-Narayama

ぬかるみ

2018年8月3日 蓮 文句 これはとある人から聞いた話なので、真偽のほどは不明です。 慎吾が用を足して朝礼に参加した時は、いつものアナウンスメントの途中だった。その後教室に向かう途中、慎吾は健太と遊ぶ約束をした。 健太の家はかなり遠かった。雨の後のぬかるみを歩き、ちょっとした崖のようなところをよじ登らなければならなかった。これは近道だったからかもしれない。健太の家がある一角には多くの家はなかった。健太の家は右から空き地を挟んで三軒目、白っぽいペンキが塗ってあった。 慎吾は、今となっては何をして遊んだのかはよく覚えていない。覚えているのは、途中で遠くにバンドの演奏が聞こえてきたことだ。健太の家は見晴らしの良いところにあったので、かなり遠くのバンドの音が聞こえてきたのだ。 この時、慎吾は初めて演奏会のことを思い出した。すっかり忘れていた。健太によると、今朝の朝礼でも演奏会のことは言われたそうだがそれは慎吾が来る前だったそうだ。慎吾はもう仕方がないと思った。健太は何も言わなかったが少し困惑したような顔をしていた。 その後二人は街に出かけた。途中、慎吾は最近書き物をしている事を話した。ちょっとした悩みや気持ちを書いているのだと言った。うっぷんが晴れるのだと言った。健太は黙って聞いていた。慎吾は健太があまり読み書きをするタイプではないと察していた。突然健太が、「何も書けない時はどうするんだい?」と聞いた。慎吾もそういう時はあった。何も書くことがない時もあった。頭の中があまりに煩悶としていて文章にできない時もあった。書いた後にその表現が心を正直に表してないと気が付くこともあった。慎吾がそんなことを言うと、健太は案外安心したような顔をした。 二人は街の菓子屋まで来た時に、ばったりとバンドの連中に会った。いつの間にか演奏会は終わっていたのだ。中には二人と仲の良い連中もいたので、どうして演奏会に来なかったのか問われた。慎吾は返事が出来なかった。すると健太がすまなそうな顔で、「ごめん。僕が演奏会のことを忘れてしまったんだ。」と言った。バンドの連中は、「次は必ず来いよ。」と言って行ってしまった。慎吾は、健太が自分の気持ちを文章では表せないのがわかったような気がした。 Also in PDF: Husmonk18-Nukarumi

西洋思想と東洋思想の接点はインドにあり

2017年12月12日(2018年8月15日若干修正) 蓮 文句 これもまた、当人の全く勝手な見解です。ことの始まりはDaniel Golemanの本「The Meditative Mind: The Varieties of Meditative Experience」にあります。Golemanはこの本の中で、瞑想には大きく2種類あると人から教わったと書いています。『1』の瞑想と『0』の瞑想があるというのです。さて、当人の解釈ですが、『1』の瞑想では、瞑想者は「神」その他の超常現象等に同化することを目指します。『0』の瞑想では、瞑想者の直接体験に基づき、瞑想者の自我が環境の中の一部として「解体」することを目指します。解体というと誤解を招きやすいのですが、自我が無くなるくなるわけではなく、普通自我と思っているものが環境の中での連鎖反応の一断面に過ぎないという見方です。『1』の瞑想の代表的なものはヨガの瞑想で、『0』の瞑想の代表的なものは仏教の瞑想でしょう。当然、ヨガも仏教も(広義の)インドが発祥の地であります。そして、当人が言いたいことは、瞑想における『1』と『0』の違いが西洋思想と東洋思想の違いを反映するということです。ちなみに、この対立は、よく言われる西洋と東洋の境界とは異なります。つまり、前者はキリスト・ユダヤ・イスラム教(一神教)に基づき後者はヒンドゥー(多神教)・仏教(無神教)に基づくという考え方とは違うということです。 まず、少し注釈を加えたいと思います。瞑想に関する手法に関しては、ヨガも仏教も多くの共通点があります。例えば、両者とも呼吸を使うのが最も一般的な方法です。また、両者とも精神集中および洞察・気づき両方の側面を重視します。瞑想中に体験する精神状態にも類似点が多く存在します。そのため、多くの人は両者の瞑想を混同しがちです。それでも、上に書いた通り目標地点に究極の違いがあるのです。同じ地域で発展し類似の形態を取りながら、どうしてこのように極端に違うゴールを目指すのか興味深いと思います。 歴史的に言えば、ヨガはヒンドゥー教(あるいはその前身)を背景に発達しました。多神教という点ではキリスト・ユダヤ・イスラム教と異なりますが、神を崇拝する点では何の相違もありません。そして、この神(あるいは神々)の崇拝の極致は自分が神になることです。この接近を限りなく求めるのが『1』の瞑想の根源と思われます。また後で述べますが、神が絡む限り必ず「助っ人」が登場することも見逃せません。これらの助っ人は、宗教家のみならず、実業家や政治家も出てきます。 仏教は、釈尊(ブッダ)がヨガ・ヒンドゥー教を含む当時の宗教・思想の問題点を打破するために始めたものです。神を祀るのではなく、現実を直接見極めることにより煩悩から解放されることを目指します。すなわち、個々人の意志・実行が強調されています。師の役割を否定するわけではありませんが、師の言っていることが正しいかどうか判断するのは個々人の責任とされています。この点で、西洋宗教でみられるような助っ人の影響は弱いと言えます。なお、仏教は釈尊が始めたものですが、同様の思想・姿勢はすでにあったものと考えられます。これは、中国他のアジア地域に共通する観点・姿勢があったことからも伺えます。 ところで、現代インド社会は大方西洋的であると言えます。これは、インド北部の人種がコーカソイドであり、言語がインド・ヨーロッパ語族に属することと無関係ではないと思います。仏教が根付かなかった理由の一つでもあるでしょう。それに対し、近隣のネパール、ブータン、ミャンマーとインドから東方に離れるにつれて東洋色が濃くなります。それにしても、世界が小さくなりどんどん現代化するにつれ、かつて東洋色が濃かった地域も西洋化してきています。世界中が西洋化してきていると言っても過言ではありません。 また、世界が現代化するにつれ、人間の使う「道具」が強力になってきています。火、言語、農業、重機、兵器、コンピュータ、インターネット、などなど。これらの道具は西洋思想の神々の助っ人たちにとっては必需品となっています。また、個々人にとって、神々に近づく手っ取り早い道具は「富」や名声です。これもまた、神々の助っ人にとってはコントロールしやすい道具のひとつです。神々を崇拝する人々にとって、現代社会は格好の領土なのです。 これに対し、当人の言う東洋思想の根底には、神々の助っ人に頼らず自分の直接体験を重視する傾向があります。個々人にとっても、富や名声より重要なものが見えるはずです。しかし、このような傾向は必ずしも現代化に即しているとは言えません。いや、弊害とさえなりかねません。世界中で巻き起こっている経済競争のなかで東洋思想が有利な訳がないのです。世界中の西洋化は免れないでしょう。問題の一つは西洋化は永遠に継続することはできないということです。これはガンが人体を蝕んでいくのと同様です。いずれは破綻するのです。極端なことを言えば、西洋化は自殺行為だということです。 それでも、西洋社会のなかでさえもささやかな東洋化の動きも見られます。中には、むやみな現代化に抵抗して、現状をもっとよく見極めようとする人々がいます。そのような人々の集まりもあります。また、神々崇拝型の従来の企業に対し、直接体験を重視するような各種の「(消費者)協同組合」が発展してきています。他国では、金融機関、住宅、各種小売業などにも見られますが、日本ではこのような企業形態は「生協」に限られるかと思っていました。ところが、日本にも大変いい例があることに後から気が付きました(2018年3月20日)。これは、日本高齢者生活協同組合連合会(高齢協、http://koreikyo.jp/)です。大変参考になりました。失礼しました。当然、他にも見逃していると思いますが。。。。 といったわけで、かつてインドで表現化した西洋・東洋の接点はもはや消滅したかのように思えますが、世界各地の小さな拠点にところを変えて依然ささやかに繰り広げられているのです。 Also in PDF: Husmonk17-Setten

こんなはずじゃなかった

2017年8月30日 蓮 文句 「こんなはずじゃなかった。」「こんなことになるなら、ああするんじゃなかった。」皆さん、誰でもそう思うことがあるでしょう。まあ、一言でいえば後悔でしょうか。当然、あまり気持ちの良いものではありませんし、時によっては病的になることもあるかもしれません。しかし、これは私たちには極自然な現象の一つのようですし、予防するとか無理やり否定しようというのも現実的ではなさそうです。兎に角、ここで少し考えてみるのも悪くはないと思います。 後悔は、一般に過去の自分の行動が現在の理想にそぐわないと思った時に起こるものです。あらかじめ選択肢がわかっていた場合とそうでない場合があるかもしれません。いずれにしても、根底にあるのは、理想と現実のギャップのようです。 まず、現在の理想というものがどこから来るのか少し考えて見たいと思います。やりがいのある仕事をして、高給をとり、理解のある配偶者と大きな家に住み、優秀な子供をもち、自由気ままで安泰な老後を送る。皆さんは、そのような理想を持っているのでしょうか。そのような理想はどこから来たのですか。自分で構築したものでしょうか。現代社会の賜物でしょうか。それとも、なんとはなしに浮かび上がってきたものでしょうか。現実的でしょうか。私たちが本当に納得できるようなことをした時、それは理想に合致していたからでしょうか。それとも、何か自分の天性を全うしつつあるからでしょうか。というわけで、すこし、理想というものを真剣に考え直してみることが必要ではないでしょうか。ことによると、理想などというものは人生における弊害であるだけかもしれません。 そして、後悔が理想と現実のギャップから生じるとすれば、私たちの現実を把握する能力についても再検討してみる必要がありそうです。ある研究結果によると、大学教員の94%の人が学生から見た自分の評価が平均以上であると思っていたそうです。当然、大変おかしな話で、その人たちが自分の評価を正確に把握していれば出てこない結果です。これは単なる一例ですが、一般に私たちは現実をそれほど正確に把握していないというのが実情だと思います。どうしたらよいでしょうか。現実を真剣に自分の五感・六感のみに頼って把握するようにしたらどうでしょうか。 もし、私たちが理想と現実を見る目を磨き、表面的なギャップに惑わされることを躊躇できるならば、後悔の件数はずっと減るのではないでしょうか。 Also in PDF: Husmonk17-Konna