慎吾と麗名の旅奏曲(2):東日本編

2019年9月1日(若干修正:2019年11月8日) 蓮 文句 1.修学旅行 高校三年の時、慎吾と麗名は同級生だった。それでも二人は全く話をしたこともなく、慎吾は麗名の存在さえ気に留めていない様子だった。そんなある日、慎吾は親と隣町での買い物の帰り、町はずれのコンビニに寄った。慎吾はハッとした。そこのレジで働いていたのは麗名だった。話をしたこともない同級生が一生懸命働いている。なぜかとてもけなげに、と同時にしっかりして見えた。レジに行くのがなんとなく照れ臭く、何も買わずにそこを出た。それから、慎吾は麗名のことを気に掛け始めた。人並外れておとなしい。授業中もほとんど発言しない。休み時間には他の女子と静かに話していることもあったが、一人で窓の外を見ているようなことも多かった。 クラスでは、一学期の間にすでに東京への修学旅行の計画が持ち上がっていた。自由行動の班を決める時、慎吾は麗名が一人だけ話し合いに加わっていないことに気が付いた。後で噂を聞いたところ、麗名の家庭は旅行費用が払えないため修学旅行には行かないということだった。慎吾の家は飛びぬけて裕福ではないが経済的に困ったこともなかったので、この噂はショックであった。 修学旅行の三日前の夜、慎吾は町の中心部まで出かけ、バーに入った。酎ハイをオーダーして飲んでいるところを巡回とみられる警察官に未成年飲酒で補導された。ことの次第は翌日高校に報告され、慎吾は一週間の停学処分を言い渡された。と同時に、この期間にある修学旅行への参加も禁止された。 級友たちが修学旅行に出かけてしまった朝、慎吾は麗名に電話して湖畔を散歩しないかと誘った。 「石館君、散歩に誘ってくれてありがとう。でも、どうしてお酒なんか飲んでいたの?まさかわざと捕まるようなことをしたんじゃないよね?」 「そんなことないよ。たまたまそういう気分だっただけだよ。ところで、同じクラスに居るのに、鹿野内さんとはまだ一回も話したことなかったよね。」 「そうね、私無口だから。石館君はサッカー部で随分活躍していたの知ってたけど。」 「あ~引退するまではね。今は時間が出来た。みんな受験勉強に躍起だけど、僕はなんだか気が抜けたような感じだ。」 「石館君は優秀だからもう大学のこととかしっかり考えているんでしょ?」 「いや、全然。正直言って気が進まない。何を勉強したいとか、何かになりたいというものがまだないんだ。そんな状態で大学に行ってしまっていいのかなと思っている。それより、困ったことに、両親の方が真剣なんだ。」 「そうなの。知らなかった。」 二人は暫く何も話さなかった。突然慎吾が立ち止まり、湖に小石を投げた。その波紋だけが観光シーズンの終った湖面に広がっていった。 「鹿野内さん、気に障ったらごめん。実は、前に街はずれのコンビニに寄った時、レジで働いているのを見たんだけど。」 「そうなの。毎日働いているの。」 「えっ、毎日?大変だね。土日も?」 「そうなの。うち、貧しいから。」 「そんな。詮索するつもりじゃなかったんだけど。」 「いいの。わかっているわ。これは事実だからしかたがないの。修学旅行に行けなかったのもそのせい。それは知っているでしょ?」 「うん。噂で聞いた。で~、鹿野内さんが働いているところを見て、大人と一緒に働いているところを見て、なんだかすごく立派だなって思ったんだ。」 「ただ、お金のためにしていることなのに。私は年取った父と二人暮らしで、父は警備員の仕事。父の前の事業からの借金もあるので、なかなかまともな生活が出来ないの。」 「そうだったのか。大変だなぁ。ねぇ、ポテトチップス持ってきたけど食べる?」 「ありがとう。」 二人は近くのベンチに腰を掛けた。二人はじっと静かな湖面を見つめている。何をするというわけではないが、二人ともそれなりに落ち着いた時間を過ごしているようだった。 午後になって、麗名が言った。 「石館君、この後、またバイトがあるので行かないと。近くのバス停から行くの。今日誘ってくれてありがとう。みんな修学旅行に行ってしまって寂しかった。」 「来てくれてよかった。バス停まで送って行くよ。」 「ありがとう。」 慎吾は麗名がバスに乗る直前に尋ねた。 「鹿野内さん、明日も会ってくれる?」 「えぇ。」 「じゃ、また同じ時間に同じ所で。」 麗名はうなずいた。慎吾は麗名のバスが来るまで待ち、見送った。 次の日、慎吾は少し時間に遅れてきた。 「ごめん。出際にちょっと両親と言い争いがあって。停学になって怒っているんだ。そして毎日ぶらぶらしているとか。大学受験にも差し支えるとか。もう嫌気がさす。」 「ごめんなさい。私に会ってくれるためにそんなこと言われて。それに、どうしても石館君はわざと修学旅行に行かないようにしたと思えて。」 「そんなことないよ。それに、もう修学旅行のことは忘れよう。それより、こうして鹿野内さんと会っていると気が休まる。うちの家族にはない暖かさがある。今日も会えて嬉しいんだ。」 「それだったらいいんだけど。もし昨日石館君が誘ってくれなかったら、私、多分家でずっと泣いていたと思う。私、何の取柄もないのに誘ってくれて、ありがとう。」 「来てくれて、嬉しいよ。」 二人は暫く黙って湖畔を歩いた。今日は少し風が出ている。昼に差し掛かったころ、麗名がバッグから何やら取り出した。 「石館君、よかったら、お昼食べない?おにぎり作ってきたの。」 「ほんと?お腹空いていたんだ。おにぎりいいな。昨日はポテトチップスだけでごめん。」 「当たり前の鮭のおにぎりだけど、いい?」 「鮭、大好きだよ。」 「父の夜食にいつも鮭のおにぎりを用意するの。うちではご馳走なの。父はほとんど毎日夜働いているでしょ。いつも入れ違いで寂しいことが多いの。それに、私の母は私が中学の時に病気で死んでしまったし。」 「そうだったんだ。」 おにぎりを食べ終わると二人はまた歩きだした。また少し風が強くなっている。 「この分だと明日は雨かな。今日のうちにちょっとボートでも乗ろうか。」 「えっ?ボート?」 「うん。そこにあるじゃない。もう観光客もいないし、僕らが少し乗ったって構わないよ。」 麗名はためらっている。それでも、慎吾はさっさとボートの所へ行き、湖岸まで引っ張っていった。 「鹿野内さん、おいでよ。」 麗名は依然ためらっていたが、やっとボートに飛び乗った。慎吾はボートを押しながら、自分も飛び乗った。しばらく慎吾がオールを操り湖上を巡った。誰もいない少しうす暗くなってきた湖面で二人だけ、ボートに乗っている。少し波立つ湖面をすうっと、だが当てもなくさ迷っている。しまいに、慎吾が勢いよく湖岸にこぎ着け、自分が飛び降りた。ボートをさらに引っ張ると麗名の手を取ってボートから降ろした。この時、慎吾は初めて麗名の手に触れた。暖かかった。 … Continue reading 慎吾と麗名の旅奏曲(2):東日本編

慎吾と麗名の旅奏曲(1):環太平洋編

2019年8月1日(若干修正:2019年9月1日) 蓮 文句 これは、先に発表された第一話「もう先生と呼ばないで」と第二話「きみの意識が戻るまで」の後続九話を含めた全11話です。第一話と第二話は個別に発表されたものと若干異なっている箇所があります。 1.もう先生と呼ばないで 慎吾は高校三年になって初めての英語のクラスに行くところだった。今までの教師が退職したので、新任の若い女の先生が来るということを聞いていた。いずれにしても慎吾は英語の授業をずっと嫌ってきたので、大した違いは無いだろうと思っていた。麗名は大学を卒業してすぐに慎吾の高校へ赴任してきた。三週間の教育実習の他は教壇に立ったことはなく、相当に緊張していたことに間違いはない。教師として最初のクラスは尚更のことだ。 慎吾が教室に着くと麗名はもう教室の前に居た。彼は麗名を見たその瞬間にもう完全に参ってしまった。彼は今まで何人か同級生と付き合った事はあるが、深い仲になったことはない。そして、たった今のようにどうしようもない感覚を覚えたこともなかった。そんな状況で慎吾が授業内容に注意を向けられたわけがない。途中麗名が一人ずつに教材を配ったとき、慎吾は麗名の手が少し震えているような気がした。新任の教師だからやっぱり緊張しているのかなと思った。それより、慎吾は自分の興奮状態を収めることに精一杯だった。 それから数週間が過ぎた。慎吾の麗名への想いはとどまる所を知らず、英語だけでなく全ての授業中、いや一日中そのことばかり考えていた。英語の授業はむしろ苦痛にさえなってきた。この憧れの人が級友皆に平等に英語を教えているからだ。もうたまらない。ある日の放課後、慎吾はこっそりと麗名のあとをつけた。同じ電車に乗り、同じ駅で降り、少し離れてついて行った。慎吾の心臓はもう破裂寸前だった。 麗名が自分のアパートのドアを開けようとした時、「先生。」という小さな声がした。振り返ると、そこには慎吾が立っていた。その時の麗名の驚き様はただものではなかった。「あっ」と叫んでいる様な顔をしているが声は出ていない。慎吾を凝視したまま凍結してしまったようだ。しばらくしてやっと麗名が口を開けた。 「あの、城ヶ崎君、どうしてここに。」 それは、半分は教師が生徒をたしなめるような口調であったが、後の半分は旅先で旧友にあったときのような親しみがあった。慎吾はきまりが悪そうに返答した。 「すいません。悪いとは思いながらついてきたんです。先生、すいません。どうしようもなかったんです。」 麗名はすぐには返答できなかった。そして思い切るように言った。 「城ヶ崎君、それはどういうことですか。」 麗名の顔は少し赤らいでいる。慎吾はもうすべて言うしかないと思っていた。 「先生。先生を一目見た時からもう頭が一杯で。授業中も苦しいくらいで。もう、直接会って話をしないと耐えられないと思ったんです。」 麗名は返答に困っているようだった。顔は更に赤くなってきた。しばらく経って、やや落ち着いてきたかと思われるとポツリと言った。 「城ヶ崎君、とにかく中に入って。こんなところを他の人に見られてしまっては。」 麗名は鍵を開けると慎吾を中に通した。アパートの中はガランとした感じで、隅には幾つか段ボール箱が積んであった。麗名は慎吾を小さな椅子に座らせると台所の流しの方を向いてしまった。そして、麗名の次の言葉は慎吾には少し意外だった。 「城ヶ崎君、コーヒー飲む?」 慎吾はもう信じられなかった。あの安城先生のアパートに二人だけでいる。 「二人だけ。先生、夢のようです。本当にどうして良いか分からなかったんです。」 麗名の方はうつむいてコーヒーの用意をしている。慎吾には麗名の表情どころか顔さえ見えなかった。次に麗名は独り言のように言った。 「こんな状態が学校に知れたら、わたしすぐクビにされてしまう。どうしよう。」 麗名が心配しているのを悟った慎吾はすかさず返事した。 「先生、オレ、絶対、誰にも何にも言わないから。心配しないで。」 麗名はそれには反応しなかった。まだコーヒーの方を向いている。少し身体が震えているようでもある。 「先生、すいません。悪い事だとは分かっていたし、先生を困らせようというつもりは全然なかったんだ。」 「城ヶ崎君。分かっているわ。わたし、今言った通り自分の仕事の事が心配なのは本当なんです。でも、実はもっと切迫していることがあって。」 慎吾にはその意味は全くわからなかった。 「もっと切迫していることって?」 麗名はまだコーヒーの方を向いている。 「城ヶ崎くん、コーヒーができたわ。」 そう言って、コーヒーカップを2つテーブルの上に置いた。麗名の顔を見た慎吾は驚いた。麗名の目からは涙が流れたあとがある。それなのに全然悲しそうではない。慎吾の身体は完全に興奮していた。 「わたし、どうしていいかわからないの。」 そう言ってコーヒーカップ一つを慎吾の方へ押した時、麗名の手が震え、カップが傾き、コーヒーがこぼれてしまった。慎吾は手を出してそれを抑えようとしたが間に合わなかった。 「ごめんなさい。」 「すいません。」 麗名と慎吾が同時にそう言った時に二人の手が触れ、次の瞬間には唇も触れた。麗名はちょっと後ずさりすると、完全に動揺した様子で、 「わたし、どうしよう。わたし、どうしよう。」 と繰り返している。 慎吾が話し始めた。 「先生、すいません。でも、オレ、もうどうしょうもないんだ。なんと言っていいかわからない。」 麗名はまだ動揺した様子で、「どうしよう。」といっている。顔は相変わらず赤く、興奮しているのは明らかだ。しばらくして麗名が観念したという様子で話し始めた。 「城ヶ崎くん、実は、わたし。実は、わたし、初めて会ったときからあなたのことを。あなたのことを考えていたんです。あなたが気がついたかどうかわからないけど、あなたに教材を渡す時になんだかいたずらに手が震えて。丁度さっきコーヒをこぼしてしまったときのように。それで、それから毎日・毎日が苦しくって。どうかして、あなたとお話出来ないかと考えていた。今日城ヶ崎君が急に現れた時、わたしはもう気絶同然でした。嬉しかったの。いや、それ以上。今、やっと二人だけに。」 そう言うと麗名はうつむいてしまった。 慎吾は信じられなかった。あの安城先生が自分のことをそんなに思っていてくれたなんて。あの安城先生が。もう世の中の他のことはどうでもよかった。すると麗名が突然立ち上がって言った。 「わたし、もう熱くなってしまって。ちょっと待っててね。」 と言うや他の部屋に行ってしまった。しばらくカサカサ、コトコトとした音がしていたが、直に戻ってくると、言った。 「こっちに来て。」 麗名が興奮している慎吾の手をとって通したのは彼女の寝室だった。慎吾はちょっと驚いた。そこは片付けたと思われる後にしては、かなり散らかっていたからだ。傍観者だったら引っ越して来て間もないからだと思うだろう。ただ、慎吾にはそんなことも麗名の「ごめんなさい。こんなところで。」という言葉も気にならなかった。そこがどんなところであろうがどんな状態であろうが、そんなことはこの二人にはもう関係のないことだった。 どのくらい経っであろう、麗名が仕方がないという感じで口を開いた。 「城ヶ崎君、もう遅いわ。帰らないと。お家の人が心配しているんじゃない?」 「先生、オレ、もうずうっとここにいたい。いや、今日のこの一日だけでももう死んでもいいくらいだ。」 すると、麗名がちょっとたしなめるように言った。 「そんな。変なこと言わないで。わたしのそばにいて。それから、城ヶ崎君、わたし達もう男と女の関係になってしまったのだから、わたしのこと『先生』って言うの辞めてください。」 … Continue reading 慎吾と麗名の旅奏曲(1):環太平洋編