楢山節後

2018年9月3日

蓮 文句

皆様の中には深沢七郎の『楢山節考』をご存じの方もいるかと思います。これは民話に基づいた短編小説で、山奥の貧しい部落の慣習に従い年老いた母を背負って雪降る山奥へ捨てに行くという物語です。この物語は老婆おりんが山に捨てられるところで終わるのですが、実はおりんは近くの岩盤に書置きをしていたのです。これは、当人の知るある登山家から聞いたことですから、真偽のほどは不明ですが。

岩盤の記録によれば、おりんの最後は皆の想像するようなものではなかったようです。第一、死期の迫った老婆が岩盤に文字を記すなどというのは普通ではありません。記録の内容は概ね以下の通りです。

わしはもう、とうに死ぬ覚悟はできていたんじゃ。運よく雪も降り、ひとり安らかにいけると思うていたんじゃ。寒いには寒いが、これは何も今に始まったことではない。冬はいつもさむかったものの~。何も苦しいとは思わなんだ。ちらちらと昔のことが思い浮かんだの~。皆の衆の顔も見えたの~。そして、だんだん眠くなってきた。目はつむっていたに違いない。雪の積もる音がしんしんと聞こえたものじゃ。

どのくらいたったかわからねぇ。突然、なんか昔の唄のようなものが聞こえてきたんじゃ。あの独特の節回しと三味線の音、なんだか琉球の唄のようじゃった。わしらの先祖は遠い昔琉球から来たと聞いていたもんじゃ。こんなところで、どうしたのかと思ったじゃ。

すると、どこからともなく、ひとり、またひとりと神さま達がやってきたのじゃ。神さま達はいろいろな動物の姿をしたいたの~。じゃが、みんな人のように二本足で歩き話をしていたのじゃ。いつの間にか周りには屋台が立ち並び旨そうな飯が並んでいた。神さま達は好き勝手に飯を食らっていたの~。わしもなんだか腹が減ってきた。辰平(筆者注:おりんの息子)の包んでくれた握り飯を食らったの~。うまかったの~。村のみんなと一緒に飯を食らっているようじゃった。

また驚いたことに、いつの間にか目の前に温泉が湧いておる。湯舟もある。飯の終った神さま達は次々に湯船につかり始めたのじゃ。年をとってもわしはおなごじゃけん、湯船にはつからなっかたじゃ。それでも、湯気を浴びてなんだか暖かくなってきたのじゃ。

しまいに、神さま達はようやくわしの方を向いて言ったじゃ。『これ、おりん。お前さんもようがんばった。これからは、わしらの仲間に入ってゆっくり暮らすがよかの~。で、お前さんの体はここに残せぬ。その代わりと言っては何だが、この石に書置きをしたらよか。』

わしはおったまげてしまったじゃ。ありがてぇことだの~。皆の衆、元気で過ごせよ~。

おりん。

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